今日の聖句8月22日(土)\(^o^)/ 王はダニエルに答えた。「あなたがこの秘密を明らかにすることができたからには、あなたがたの神こそ、神々の中の神、王たちの主、また秘密を明らかにする方であるに違いない。」 ダニエル 2:47 それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、 ピリピ2:10 **************** 今週のテーマ:絶望との戦い きょうの聖書:1ペテロ4:12-16 ペテロの手紙第一4章14節15節16節 キリストの名のためにののしられるなら、あなたがたは幸いです。栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、危害を加える者、他人のことに干渉する者として、苦しみにあうことがないようにしなさい。しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、このことのゆえに神をあがめなさい。 「罪を犯すな」 今の日本ではクリスチャンであるという理由で逮捕されることはありません。75年前までは治安維持法という法律があって、クリスチャンと共産主義者が取り締まりを受けていました。終戦とともにその法律が廃止され、信教の自由が保障されるようになりました。しかし、クリスチャンへの批判や信仰妨害がなくなったわけではありません。 ですから、いつまた、キリストを信仰することが禁じられ、礼拝が妨げられるようになるかはわかりません。でもそのようなことになっても恐れることはなく、信仰していることで批判されたら、そのことのゆえに神をあがめなさい、と教えられています。それよりも問題は、クリスチャンが犯罪者として処罰されることです。 そのために、人殺し、盗人、危害を加える者、他人のことに干渉する者として、苦しみにあうことがないようにしなさいと命じられています。罪は人の心を弱め、罪は人の自信を奪い、人の心の明るさを消してしまいます。罪は人と神様との仕切りとなり、人の心を神さまかに切り離してしまいます。 信仰を批判されることは恐れる必要がなく、むしろ、自分が罪を犯す可能性があることを恐れていなけれならないのです。牧師が教会で「罪を犯すな」という説教を止め、「聖く生きよ」という説教を止めてしまうと教会が堕落してしまう可能性があります。何かにつけ、私たちには弱さがありますから、神様の力によって守られて罪を犯さないように気を付けていなければならないのです。 祝福を祈ります。