今日の聖句8月18日(火)\(^o^)/ 主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまでその真実は代々に至る。 詩篇100:5 私たちの救い主である神のいつくしみと人に対する愛が現れたとき、神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。 テトス3:4-5 **************** 今週のテーマ:絶望との戦い きょうの聖書:へブル11:8-12 へブル人への手紙11章8節9節10節 信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに受け継ぐイサクやヤコブと天幕生活をしました。堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都の設計者、また建設者は神です。 「天国を見る目」 アブラハムの一生は絶望との戦いの連続でした。そもそも、はじめの一歩が住み慣れたウルの町を出て生きなさいという神様の命令を受けるところから始まりました。行き先が分かっていれば旅立つこともできるでしょうが、アブラハムの場合はどこに行くのかを知らずに出て行かなければならなかったのです。 外国で寄留者として家屋を建築することなく、テント生活を余儀なくされたということも辛いことに違いありません。アブラハムがそのような窮乏を耐えられたのはアブラハムに天国を見る目が与えられていたからだとへブル書の記者は言います。自分の人生の最終ゴールが神様の設計と建設による天の御国であることが明確になっている人の強みです。 聖書は希望の書であると言われています。聖書は創世記から黙示録に至るまで、読者に神様が主体的に働いて人々を救い、人々に輝かしい未来を示し、愛と恵を注ぎ続けていることを証してます。特にこのへブル書11章は信仰によって絶望と危機を乗り越えた人たちの記録が詰まっています。 聖書が私たちに示す「救いと未来」とは、「次のステップに進ませる」という言いかえができるものと思います。絶望とは前進も後退もできない全く身動きできない状態に陥ることです。神様が下さる救いとはその絶望からの解放であり、すべての人に天の御国への門が開かれたということです。私たちの未来への扉は大きく開かれています。天国を仰ぎ見て生きて行きましょう。 祝福を祈ります。