今日の聖句8月15日(土)\(^o^)/ やもめ、みなしご、寄留者、貧しい者を虐げるな。互いに対して、心の中で悪を企むな。 ゼカリヤ7:10 この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。 1コリント 1:28 ****************** 今週のテーマ:新しくされる きょうの聖書:詩篇15:1-5 詩篇15篇1節〜4節 主よだれがあなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれがあなたの聖なる山に住むのでしょうか。全き者として歩み義を行い心の中の真実を語る人。舌をもって中傷せず友人に悪を行わず隣人へのそしりを口にしない人。その目は主に捨てられた者を蔑み主を恐れる者を彼は尊ぶ。損になっても誓ったことは変えない。 「礼拝を軸に生きる」 聖書には、幕屋、聖なる山、そしてシオン、エルサレムという言葉が出てきます。これは直接的にはエルサレム神殿を指します。しかし、今、エルサレムには神殿はありません。ですから、幕屋、聖なる山、そしてシオン、エルサレムは礼拝場所であり、礼拝そのものを指しているのです。 この詩篇は、神様によって心がきよめられた人が真実な礼拝を捧げることができるのだと言っているのです。清く正しい生活をし、真実を語り、言葉で人を傷つけない人、絶えず弱者への支援の目を持っている人こそ真の礼拝者として神様の御前に立ち続けることができるのだということです。 私たちは日曜日の朝、教会に集まったときに、礼拝できる恵みを感謝します。それは、神様の守りによって一週間のあいだ大罪を犯さずに歩めたことへの感謝です。もしウイークデーの間に罪を犯してしまったら、のんきな顔をしてのこのこと教会に来ることはできないからです。 私たちの一週間は礼拝を軸にして回されています。いえいえ、私たちの人生そのものが礼拝を軸にして営まれているのです。朝の祈りという礼拝、家族とともに祈る礼拝、そして主日礼拝です。礼拝が軸になっている人の生活には平安と力があります。イエス様からの恵みと祝福がが注がれ続けるからです。これからも礼拝を最優先にして生きていきたいと思います。 祝福を祈ります。