今日の聖句8月13日(木)\(^o^)/ 彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。 イザヤ53:5 ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子らを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。 ヨハネ11:52 今週のテーマ:新しくされる きょうの聖書:エレミヤ26:2-6 エレミヤ書26章4節5節6節 彼らに言え。『主はこう言われる。もし、あなたがたがわたしに聞き従わず、あなたがたの前に置いたわたしの律法に歩まず、あなたがたに早くからたびたび遣わしてきた、わたしのしもべである預言者たちのことばに聞き従わないなら──実際、あなたがたは聞き従わなかった──わたしはこの宮をシロのようにし、この都を地上のすべての国々の、ののしりの的とする。』 「悔い改めの必要」 この26章の1節にエホヤキンの治世の初めとありますのでB.C.600年頃です。ごの後20年でエルサレムはバビロニヤに滅ぼされて廃墟になります。神様はエレミヤを通じてユダヤ人に悔い改めを求めていますが、彼らには神様のみことばを聞く耳がありません。そのためにエルサレムはシロのようになると言われています。 シロとはヨセフの子孫であるエフライム族の首都で、エジプトから引き揚げてきた後、イスラエル全国の主神殿がおかれた町です。イスラエルに対するヨセフの貢献が大きかったので、エフライムが治める地に礼拝場所が設定されたのです。しかし、ユダ族のダビデが国王になったときに神殿はエルサレムに移されました。それは、シロに在った契約の箱がペリシテに奪われるという出来事があったためです。 契約の箱が奪われるとは、神様の臨在が奪われるということであり、信仰の喪失につながる大罪です。エレミヤはエルサレムがそのようになると言ったのです。これは、言い換えれば、罪を犯して悔い改めないでいると礼拝ができなくなるということです。私たちの場合では、罪を犯して悔い改めないでいると、まず初めに喜びがなくなります。 更に悔い改めないでいると、お祈りを捧げるということができなくなり、ついに礼拝そのものができなくなります。エルサレムは悔い改めの機会を失い、三振のバッターアウトからチーム全体の負け試合になったのです。エルサレムは滅ぼされてしまいました。毎週日曜日に教会へ来て礼拝している中で悔い改めて信仰を刷新していくことが必要なのです。 祝福を祈ります。