今日の聖句8月4日(火)\(^o^)/ 数々の集いで私は主をほめたたえます。 詩篇26:12 それでは、兄弟たち、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれが賛美したり、教えたり、啓示を告げたり、異言を話したり、解き明かしたりすることができます。そのすべてのことを、成長に役立てるためにしなさい。 1コリント14:26 ***************** 今週のテーマ:神のみこころ きょうの聖書:出エジプト16:9-12 出エジプト記16章11節12節 主はモーセに告げられた。「わたしはイスラエルの子らの不平を聞いた。彼らに告げよ。『あなたがたは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンで満ち足りる。こうしてあなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であることを知る。』」 「神様の訓練」 この出来事が起こったのはイスラエルが出エジプトし、紅海を渡り、シナイ半島に上がってから、シナイ山に到着するまでシナイ半島の西岸を移動していた時です。民たちは、モーセとアロンに「あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出し、この集団全体を飢え死にさせようとしている」と言って不満を鳴らしていました。 神様はイスラエルを砂漠で餓死させるためにエジプトから連れ出したわけではありません。むしろ、「わたしがあなたがたの神、主であることを知る」とあるように水も食べ物もない荒野で、神様が直接イスラエルに水と食べ物を与えてくださるお方であることを体験させるためだったのです。神の民となる訓練です 洗礼を受けてクリスチャンになった人が、こんなはずではなかった、こんなことなら洗礼など受けなけれはよかったと言い出す場合があります。恵みに浸れるようになるには訓練を受ける必要があるのです。私たちの日常生活の中でも、なんでこんなことになるの、と感じるような試練を受ける場合があります。もちろんそれは私たちを成長させるための神様からのレッスンなのです。 神様が恵み深く、愛と哀れみに富んだお方であることを学ばせるためです。コロナ渦で苦しみあえぐ人々に神様が愛と真実のお方であることを証しすることが今のクリスチャンに課せられている神様のご期待であると思わざるを得ません。なんとかして支援の手を届けていきたいと思います。お祈りください。 祝福を祈ります。