今日の聖句7月17日(金)\(^o^)/ あなたがたの神、主は神の神、主の主、偉大で力があり、恐ろしい神。えこひいきをせず、賄賂を取らず、みなしごや、やもめのためにさばきを行い、寄留者を愛して、これに食物と衣服を与えられる。 申命記10:17-18 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。 マタイ5:8 **************** 今週のテーマ:清い人は幸い きょうの聖書:ローマ8:27-30 ローマ人への手紙8章27節28節 人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。 「神を愛す人」 神様は祈りや礼拝の中で私たちの心を探られます。それは私たちにとってありがたいことです。自分の心の中は自分ではわからないことが多いからです。どのように祈ってよいかわからないのが私たちです。しかし、御霊様が私たちのために神様にとりなし祈ってくださるので私たちは自分の祈りの言葉に迷わずに祈れるのです。 それは、赤ちゃんが泣きわめくだけで自分の心の内を母親に知ってもらえるのによく似ていると思います。私たちは遠慮なく神様に祈れるのです。そのように神様に愛されていることを知り、なお神様への愛と信頼を持っている人は実に幸せです。神様を愛している人のためには、神様がその人の人生を幸福でまとめてくださるのです。 苦しみや試練、迫害や困難の中で私たちは祈れなくなります。呻くだけ、泣くだけ、布団をかぶってうずくまる以外に何もできない日もあります。しかし、神様は生きています。神様はご自分で立てた計画通りに物事を進めていきます。その御計画の中に私たちの人生もありますので、神様に反逆しない限り私たちの人生も勝利のうちに完結されていくのです。 心のきよい人は神様を愛します。心の汚れた人は自己中心です。神様を愛せず、自己中心にしか生きられないのが私たちです。イエス様は私たちに代わって神様を愛し続けていてくださいます。イエス様が私たちに代わって神様からの処罰を全部受けてくださいました。ですから、私たちはキリストを信じることによって義と認められ、神様を愛す清い人として生きられるのです。 祝福を祈ります。