今日の聖句7月9日(木)\(^o^)/ それはわが避け所主をいと高き方をあなたが自分の住まいとしたからである。 詩篇91:9 このような望みを抱いているので、私たちはきわめて大胆にふるまいます。 2コリント3:12 **************** 今週のテーマ:新しい自由 きょうの聖書:ガラテヤ5:4-13 ガラテヤ人への手紙5章11節12節13節 兄弟たち。もし私が今でも割礼を宣べ伝えているなら、どうして今なお迫害を受けているのですか。それを宣べ伝えているなら、十字架のつまずきはなくなっているはずです。あなたがたをかき乱す者たちは、いっそのこと切除してしまえばよいのです。兄弟たち。あなたがたは自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい。 「愛をもって」 パウロは人が義とされるのは掟の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によるのであると語り続けています。一方、ユダヤ教側では、人が義とされるのはユダヤ教の律法を行うことによると考えています。パウロから伝道された人はキリストを信じることによって義とされることから、ユダヤ教側の主張に惑わされて信仰を失ってしまう人があったようです。 割礼を宣べ伝えるとは、ユダヤ教のおきてを行うことの象徴です。パウロがユダヤ教のおきてを行うことを宣べ伝えているのなら、ユダヤ当局から迫害されるはずはありません。しかし、現実には、パウロはユダヤ当局から命を狙われているのです。キリストを信じる信仰に徹していくなら、ユダヤ側の主張は切除する以外にないと結論しているのです。 義とされることと、救われること、赦されることはほとんど同じ意味です。義とされて天国が保証され、救われて天国が保証され、赦されて天国が保証されるので同じことと言えます。それは、神様によって私たち一人ひとりの人間の過去と現在と未来が祝福されるということです。義とされ救われたことは私たちが今現在生きていることを神様から祝福されているということです。 自由を与えられたということはそういうことなのです。ですから、その自由を犯罪のために使うのではなく、その自由を、「愛をもって互いに仕え合う」ことに用いなければなりません。サタンは私たちのいのちを脅かしますが、イエス様は私たちのいのちを祝福していてくださるのです。お互いにお互いのいのちを祝福し合いましょう。 祝福を祈ります。