今日の聖句7月7日(火)\(^o^)/ 私はうろたえて言いました。「私はあなたの目の前から断たれたのだ」と。しかし私の願いの声をあなたは聞かれました。私があなたに叫び求めたときに。 詩篇31:22 「ダビデの子よ、私をあわれんでください」と、ますます叫んだ。イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われた。 マルコ10:48-49 ***************** 今週のテーマ:新しい自由 きょうの聖書:1コリント9:19-22 コリント人への手紙第一9章19節20節 私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷になりました。ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人たちには──私自身は律法の下にはいませんが──律法の下にある者のようになりました。律法の下にある人たちを獲得するためです。 「キリストに仕える自由」 パウロは「福音を伝えるために生きる」という使命をいただいて以来、天からの啓示に背くことなく、積極的に、その使命を遂行していきます。パウロが好き勝手に、この福音を宣べ伝える道を選んだのではなく、神様に捕まえられて、その道へと追いやられたような感覚かもしれません。 パウロは福音宣教を神から委ねられたのです。それを果たすことこそ、彼の使命であり、それを怠けることは彼の恥になりました。神様からいただいた使命として福音を宣教し、世界を救うキリストの手足として、自分の生活は自分で稼ぎ出しながら、「キリストのしもべ」として謙遜な態度で仕えることがパウロの生き方でした。 自分を犠牲にしてでも、神から託された務めを果たすことがパウロの発想のすべてでした。説教をして、報酬を得るとか得ないとか、それはパウロにとっては問題外だったのです。それよりも、それを聞いてくれる人がいて、その人が救い主に立ち返ることのほうが重要なことだったのです。 パウロはユダヤ人にはユダヤ人のようになり、律法を持たない人には持たない人のようになりましたと述べています。これは、いわば「仕える人」の姿勢です。「相手の立場に立って」とはよく言われることですが、パウロはイエス様が使える人の立場を保っていたことをよく承知していたのです。キリストに仕える人は常に自由です。 祝福を祈ります。