今日の聖句7月5日(日)\(^o^)/ あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。 ヨエル2:23 私たちはこのキリストにあって、キリストに対する信仰により、確信をもって大胆に神に近づくことができます。 エペソ3:12 ****************** 今週ののテーマ:新しい自由 きょうの聖書:1コリント1:26-31 コリント人への手紙第一1章26節27節28節 兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。 「誇る者は主を誇れ」 私のような凡人には時々自慢したくなる時があります。しかし、神様は、人が神の前で誇ることがないようにと、あえて世の無学な者を選び、無に等しいもの、身分の低いものや見下くだされているものを選んで神の家族の一員にしてくれたのだと言われています。そのくらい徹底的に「神の前に誇る愚かさ」をパウロは主張しているのです。聖書は自慢や誇りを捨てろと言っています。 神を知っていると誇り、自分の家系や自分の能力によって神を屈服させたような考え方を間違いだと断じているのです。無名の人たちの集まりが神の恵みと助けによって生きた集団となっていくという過程の中に神様のみわざを見るのだとパウロは語っているようにも聞こえます。自分は正しい人間だと言って誇ることは空しいことです。 イエス・キリストを信じるとか、信頼するとか言いますが、実は、神様が私たちに働きかけ、キリストの十字架と復活の出来事が自分と関係しているのだということがわかるようにしてくださったことなのです。神様の助けがあるからこそ、イエス様を主である救いの神として信じることができたのです。 すべて、救いも、希望や解放も、イエス・キリストよってもたらされたのです。私たちに対してイエス様が働きかけてくださいましたので、思いがけなく、キリストの福音を聞くことができ、キリストを信じることができました。神様が全知全能なので、私たちは無知無能でいいのです。あの漫画家が言いました。「これでいいのだ!」 祝福を祈ります。