今日の聖句7月4日(土)\(^o^)/ わたしはあなたがたを顧み、多くの子を与えてあなたがたを増やし、あなたがたとのわたしの契約を確かなものにする。 レビ26:9 神の約束はことごとく、この方において「はい」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。 2コリント1:20 **************** 今週のテーマ:かの日には きょうの聖書:エゼキエル2:3-7 エゼキエル書2章5節6節7節 反逆の家だから、聞く、聞かないに関わりなく、彼らは自分たちのうちに預言者がいることを知らなければならない。人の子よ。あなたは彼らや彼らのことばを恐れるな。あざみと茨があなたと一緒にあり、サソリの間に住んでも、恐れるな。そのことばを恐れるな。彼らの顔におびえるな。彼らは反逆の家なのだから。彼らは反逆の家だから、聞く、聞かないに関わりなく、あなたはわたしのことばを彼らに語れ。 「キリストの言葉を語る」 これは神様がエゼキエルに語っている言葉です。エゼキエルはバビロン捕囚前にはエルサレム神殿で神様に仕える祭司でした。捕囚としてバビロンに連行された後で神様はエゼキエルを捕囚民に神様のみことばを語る預言者として立てました。神様のエゼキエルへの命令は「あなたはわたしのことばを彼らに語れ」でした。一方、エゼキエルはエルサレム時代からユダヤの民は神様の言葉には耳を傾けないということを知っていました。 そういう人々にみことばを語るということは辛いものがあります。神様もそのことを承知の上で、彼らは反逆の家だから、聞く、聞かないに関わりなく、あなたはわたしのことばを彼らに語れと命じているのです。エゼキエルにとっては、ユダヤ人の間で生きるということは、あざみや茨と一緒に、そしてサソリの間に住んでいるようなものなのです。 しかし、神様にはそれはわかっていることなので、「恐れるな。そのことばを恐れるな。彼らの顔におびえるな」と言って励ましていてくださるのです。エゼキエルにとってはキリストの十字架と復活は未来の事であり、現実の事ではありません。私たちにとって、キリストの十字架と復活による救いはすでに私たちの身の上に実現していることです。私たちが悔い改めてキリストを信じたからキリストが十字架で死んだわけではありません。 私たちがキリストを信じる2000年も昔に救いは実行されていたのです。私たちこそキリストの言葉を滅びゆく人びとに語らなければならないのです。エゼキエルに与えられた命令は私たちに対するものでもあるのです。私たちもエゼキエルの様に、家族や友人知人に話しても、どうせ彼らはキリストを信じはしないという気持ちがあります。しかし神様は聞く、聞かないに関わりなく、あなたはわたしのことばを彼らに語れと命じているのです。命じている神様は真実な方ですから、神様を信じてみことばを証しましょう。 祝福を祈ります。