今日の聖句6月29日(月)\(^o^)/ ダニエルは穴から引き上げられたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。 ダニエル6:23 迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 2コリント4:9 *************** 今週のテーマ:かの日には きょうの聖書:マタイ24:34-39 マタイの福音書24章36節〜39節 その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。人の子の到来はノアの日と同じように実現するのです。洪水前の日々にはノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。人の子の到来もそのように実現するのです。 「その日、その時」 その日、その時に関してノアの洪水の例が挙げられました。終末は必ずあり、キリストは必ず再臨するのです。しかし、「その日、その時」は神様によって伏せられていますので誰にもわかりません。すでに予告されていますので全く予想できないのではなく、悔い改めて福音を信じなさいという警告を無視ことが問題なのです。 ノアが箱船を造ることによって長い年月のあいだ洪水来襲は警告されていたのです。その上、雨が降る七日前から既に洪水の日も起こり方も明らかに予告され、ノア一家だけでなく動物も箱船に入り始めていました。予告も前兆も警告も十分でした。罪を犯し続けている人は悔い改めて神様と和解しておくことが必要なのです。 ところがその人々は、「その日、その時」まで、「飲んだり、食べたり、めとったり、嫁いだりしていました」現世的、世俗的関心にだけ心を奪われていて神様の予告と前兆を無視しただけです。それで、予告も前兆も効果が無く人々は不意に突然の洪水に見舞われて滅びていきました。 「人の子が来るのも、そのとおりです」ノアの日のように信じる者には恵みと憐れみをもって、信じない者には厳しい裁きと共にキリストは再臨します。来たのか来ないのか分からない、というような曖昧なことではありません。それなので、私たちには福音を宣べ伝える義務と責任があります。「だから、目をさましていなさい」(42節)とイエス様は言われます。 祝福を祈ります。