今日の聖句6月21日(日)\(^o^)/ 感謝することは良いことです。いと高き方よあなたの御名をほめ歌うことは。朝にあなたの恵みを夜ごとにあなたの真実を告げることは。 詩篇92:1-2 忍耐と励ましの神があなたがたに、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを抱かせてくださいますように。そうして、あなたがたが心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父である神をほめたたえますように。 ローマ15:5-6 **************** 今週のテーマ:神の恵みにより きょうの聖書:マタイ7:24-27 マタイの福音書7章24節25節 わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。 「土台はキリストの十字架」 キリストの言葉が私たちの信仰生活の土台なのですが、みことばを聞いて、行える人と、キリストのみことばを聞いてもそれを行うことのできない人が居ることがわかります。行える人は、岩の上に家を建てた賢い人に当たり、行えない人は砂の上に家を建てた愚かな人のようだと言われています。行える人はイエス・キリストの十字架による罪の赦しを得ている人なのです。 みことばを実行する「実行力」が問題にされています。聖書に立脚するとか、聖書信仰に立つなどの言い方がされて、私たちは「立つ」ということを実行する人にならなければなりません。牧会用語に「立て上げ」という言葉もあります。罪の赦しという神様の恵みがないと立てないのです。 実行できない「弱さ」というものがあります。「信じられない」「祈れない」「委ねられない」「愛せない」「赦せない」はては「悔い改められない」と上げれば切りがありません。パウロも「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(ローマ7:24)と嘆いています。 しかし、イエス様は十字架の死と復活によって、私たちを救い、私たちを立ち上がらせてくださいます。イエス様の救いは、私たちにみことばを行う力を与えてくださいます。イエス様の復活の力を信じてイエス様のみことばを行う人として生きて行きましょう。自力では何もできません。すべて神様の恵みにかかっていることです。 祝福を祈ります。