今日の聖句6月17日(水)\(^o^)/ 喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。 詩篇100:2 また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格をあなたがたに与えてくださった御父に、喜びをもって感謝をささげることができますように。 コロサイ1:12 **************** 今週のテーマ:神の真実 きょうの聖書:民数記20:6-13 民数記20章11節12節13節 モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、豊かな水が湧き出たので、会衆もその家畜も飲んだ。しかし、主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信頼せず、イスラエルの子らの見ている前でわたしが聖であることを現さなかった。それゆえ、あなたがたはこの集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」これがメリバの水である。 「みことばへの信頼」 イスラエルがモーセに導かれて出エジプトした時のことです。イスラエルは無事に紅海を渡った後、シナイ山で十戒を受け、更に、ユダヤ砂漠の南に位置するツィンの荒野へと進んできました。ここでも飲み水で苦労はしたのですが、民は神様とモーセに逆らって、「われわれと、われわれの家畜をここで死なせようとするのか」と言って騒いだのです。 神様は真実なお方なのでご自分の民を乾きで死なせるようなことはなさいません。民はそのことを信じていなければならなかったのです。神様はモーセに杖を持って「彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませよ」と命じました。杖を持つということは神様の御名によってということであり、神様の真実な権威によってということです。 しかし、モーセはその杖で岩を打ってしまいました。水は見事にほとばしり出て、民も家畜も十分に飲むことができたのですが、モーセは神様の真実な権威に頼ることをせず、いい逆らう民に対する自分の怒りに任せて岩を打つという罪を犯してしまったのです。神様はいつもみことばで働いてくださいます。モーセも言葉で岩に命じなければいけなかったのです。 その結果、モーセは出エジプトの途中で死を迎え、天に召されてしまうことになりました。私たちクリスチャンに求められていることは、神様の真実な権威の前に静まり、神様の約束のみことばの実現を待つということです。アブラハムもモーセも、そしてダビデもこの点でしくじっています。私たちもそうです。そこで最終的に必要なのが十字架による赦しであるわけです。改めて、神様のみことばへの信頼に徹していきたいと思います。 祝福を祈ります。