今日の聖句6月16日(火)\(^o^)/ あなたの神、主があなたに道を進ませたとき、あなたが主を捨てたために、このことがあなたに起こったのではないか。 エレミヤ2:17 あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。 ヨハネ8:31 *************** 今週のテーマ:神の真実 きょうの聖書:イザヤ6:1-4 イザヤ書6章1節〜4節 ウジヤ王が死んだ年に、私は、高く上げられた御座に着いておられる主を見た。その裾は神殿に満ち、セラフィムがその上の方に立っていた。彼らにはそれぞれ六つの翼があり、二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでいて、互いにこう呼び交わしていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満ちる。」その叫ぶ者の声のために敷居の基は揺らぎ、宮は煙で満たされた。 「神様の栄光とイザヤのきよめ」 ウジヤ王はソロモン王から数えて11代目のユダ国王です。名君と呼ばれ、ユダ王国の中興の祖とも呼ばれた人でした。就任はB.C.775年頃で逝去はB.C.735年頃です。40年の統治期間で、ウジヤ王は就任から半ば過ぎまで善政を敷きましたが、後半以降は傲慢に陥り、神様の咎めを受けてらい病を患い、ヨタムが摂政を務めてウジヤは隔離された中で死を迎えました。 イザヤはウジヤ王の晩年から、ウジヤ王の孫であるヒゼキヤ王の統治期間中にエルサレムで預言活動をしていました。イザヤ書6章はイザヤの「きよめ」と再献身を記録しています。ウジヤ王の死はイザヤが預言者として献身して15年ほど後のことです。預言者となって15年も奉仕を経験すれば、自分の罪の問題には気を使わなくなる人が多いと思われます。 しかし、イザヤはあまりにも聖であり、尊厳に満ち、栄光に輝く神様のお姿に接して自分の罪に穢れた姿がいかにもみすぼらしく、預言者として神様にお仕えするのに価しないと思わざるを得ませんでした。宮は煙で満たされたというのは神殿が神様の臨在による栄光に満たされたということです。焚火の煙などではありません。 ウジヤ王時代に国王の堕落とともにエルサレムが乱れてきていたので、イザヤはなんとかエルサレムの信仰と政治を回復しなければならないと考えて熱心に祈っていた時、神様がイザヤの祈りにこたえて、この1節〜4節の幻を見せてくださったのです。神様はご自分の光と輝きをイザヤに見せて、イザヤの信仰を純粋化させ、心をきよめて預言者として再起させてくださったのです。きよめは私たちにも必要です。 祝福を祈ります。