今日の聖句6月10日(水)\(^o^)/ エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。 1列王記17:16 イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。また、二匹の魚も皆に分けられた。彼らはみな、食べて満腹した。 マルコ6:41-42 ***************** 今週のテーマ:主の愛にとどまる きょうの聖書:使徒1:6-9 使徒の働き1章7節8節 イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」 「聖霊のバプテスマ」 この「使徒の働き」はルカの福音書の続編です。ルカ伝の24章では復活したイエス様が弟子たちに「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです」と命じました。 このころの弟子たちにはまだイエス様をローマ帝国の圧政からユダヤを開放する政治的活動家であるという考えが抜けていませんでした。弟子たちは聖霊を受けて初めて、イエス・キリストを罪からの救い主であると信じることができるようになるのです。それでイエス様は聖霊のバプテスマを受けるまでエルサレムで祈っていなさいと命じているのです。 聖霊のバプテスマを受けると自分が罪びとであることが分かります。そして、キリストの十字架が自分を罪の力から解放してくださっということがよく理解できるのです。聖霊を受けた人は信仰が純粋になります。それは、不純物が混じっている金属をるつぼなどで焼くと不純物が消えて純粋な金属になるのとよく似ています。 水で受ける洗礼は誰もが経験していることなのでよくわかると思います。聖霊のバプテスマは聖霊による洗礼ということです。全身が水に浸された洗礼のように私たちの心が完全に聖霊に浸されることが聖霊のバプテスマです。イエス様は今も私たちに日々聖霊のバプテスマを受け続けていなさいと導いていてくださるのです。聖霊に満たされるように祈りましょう。 祝福を祈ります。