今日の聖句6月5日(金)\(^o^)/ 昼も夜も私の涙が私の食べ物でした。「おまえの神はどこにいるのか」と人が絶えず私に言う間。 詩篇42:3 しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 2コリント12:9 **************** 今週のテーマ:聖霊が降る きょうの聖書:1コリント12:4-8 コリント人への手紙第一12章4節〜8節 賜物はいろいろありますが、与える方は同じ御霊です。奉仕はいろいろありますが、仕える相手は同じ主です。働きはいろいろありますが、同じ神がすべての人の中で、すべての働きをなさいます。皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです。ある人には御霊を通して知恵のことばが、ある人には同じ御霊によって知識のことばが与えられています。 「聖霊の賜物」 賜物とは一人の人が神様のために働くための能力です。ですから、決して自己主張や、自己顕示の道具にしてはいけないのです。「神の恵み」が残るための賜物なのです。それを用いての働きも同じです。各々に賜物が与えられているのですが、それを生かすことによって、神の恵みが広がっていくのです。賜物は大別すると聖霊の賜物、力の賜物、職務の賜物に三つになります。 「賜物」「奉仕」「働き」それぞれが同じ主の御霊によって与えられます。教会全体の益となるために与えられているとパウロは教えています。ちなみに、「賜物」という言葉は「カリスマ」という単語ですが、このカリスマは「カリス」すなわち「恵み」という言葉を語源としています。キリストの愛と救いを伝達するために恵みとして与えられるものです。 賜物はイエス・キリストによって与えられた神の愛を運ぶ荷車にたとえられもことがあります。愛が届かず、愛が伝わらなければ賜物が与えられている意味が無くなってしまいます。私たちは与えられた賜物によって大いに神の愛を伝えていくものでありたいと思います。自分にどのような賜物が与えられているかを承知して神様に仕えることが肝要です。 私には奉仕の賜物が与えられています。キリストに対しても他の人に対しても手足や時間、あるいは言葉を費やして仕えることが私の楽しみでもあります。賜物は人それぞれ違いますので、お互いに与えられている賜物を高く評価して認め合うこともとても大事です。 祝福を祈ります。