今日の聖句6月4日(木)(木)\(^o^)/ ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と槍と投げ槍を持って私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。 1サムエル17:45 堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。 エペソ6:14-15 ************** 今週のテーマ:聖霊が降る きょうの聖書:1コリント12:1-3 コリント人への手紙第一12章3節 あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも「イエスは、のろわれよ」と言うことはなく、また、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。 「洗礼と聖霊」 パウロはコリント人への手紙第一の12章で聖霊について詳しく教えています。その第一がこの3節です。多くのクリスチャンが説教や証の中で「聖霊を受けた」と証言し、また逆に「聖霊を受けなさい」、「聖霊に満たされなさい」というメッセージを聞きます。しかしその言葉の意味が聞いている人にはわからない場合が多いのです。 それで、パウロは聖霊を受けている人は「イエスは、のろわれよ」ということはなく、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。と教えたのです。それは、イエス様を賛美することができる人が聖霊を受けている証拠であり。聖霊を受けているから、「イエスは主です」と言えるのだということです。 洗礼を受けるときに、牧師は受洗者に「あなたはイエス様を自分の救い主であると信じますか」と質問します。受洗者は「はい」と答えます。この会話で「はい」という答えが受洗者が聖霊を受けている人であることを証明するのです。ですから私たちが洗礼を受けているということが信仰生活の中でとても大事な土台になるのです。 私たちの心の中に住んでいる聖霊を高くあがめて生きることが肝心です。聖霊様を見くびり、私たちの心に語っている神様の言葉をおろそかにしてはならないのです。聖霊は神様のみことばと共に私たちの心の中で働かれるからです。私たちが神様のみことばに従うと聖霊様が喜び、その喜びが私たちの喜びになり、私たちがみことばに逆らうと聖霊様が悲しみ、その悲しみが私たちの悲しみになるのです。 祝福を祈ります。