今日の聖句6月2日(火)\(^o^)/ 私があなたの救いを喜ぶからです。 1サムエル2:1 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。 1ペテロ1:8 **************** 今週のテーマ:聖霊が降る きょうの聖書:創世記11:5-9 創世記11章6節7節8節 主は言われた。「見よ。彼らは一つの民で、みな同じ話しことばを持っている。このようなことをし始めたのなら、今や、彼らがしようと企てることで、不可能なことは何もない。さあ、降りて行って、そこで彼らのことばを混乱させ、互いの話しことばが通じないようにしよう。」主が彼らをそこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。 「救いのしるし」 今日の聖書はバベルの塔の話です。バベルの塔は今のイラクに建設されつつありましたが、神様はこの塔の建設を許可しませんでした。その理由は、ニムロデという人物が中心になって「われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから」という汚れた罪が動機だったからです。 アダムとエバも罪が原因でエデンの園を追放されました。ニムロデたちも罪が原因で世界に散り散りにされました。ユダヤの人々も罪が原因で世界に散らされたのです。神様の処罰の型の一つが人と人とのつながりを遮断するということなので、ニムロデたちは自分たちの犯している罪が神様に咎められることを意識して、神様への反抗でバベルの塔を建てようとしたのです。それで、神様は天から下って来てこの犯行を中止させるために人々の言葉を乱し、互いの話しことばが通じないようにしようとされたのです。 ところが、神様は御子イエス・キリストの十字架の死と復活によって全世界人類の罪をすべて赦免してくださいました。そのことのしるしとして、ペンテコステの日に聖霊を降し、弟子たちに他国の言葉を話させ、互いの言葉が通じ合うようにされたのです。弟子たちが他国の言葉で話すことができたということが神様の救いの業が完成されたということの証明なのです。 エデンの園から追放されたアダムの子孫である私たちも、めでたく、神様の御国に復帰できることになったわけです。聖霊様によって保証されている「救い」をしっかり受け止めて信仰生活に励みましょう。 祝福を祈ります。