今日の聖句5月30日(土)\(^o^)/ たとえバラクが銀や金で満ちた彼の家をくれても、私は私の神、主の命を破ることは、事の大小にかかわらず、断じてできません。 民数記22:18 私たちは、多くの人たちのように、神のことばに混ぜ物をして売ったりせず、誠実な者として、また神から遣わされた者として、神の御前でキリストにあって語るのです。 2コリント2:17 ************** 今週のテーマ:キリストの道 きょうの聖書:黙示録21:1-4 ヨハネの黙示録21章2節3節4節 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」 「新天新地」 ヨハネが黙示録を書いた時代はAD.95年頃と言われています。それはキリスト教が最も激しく迫害されていた時期です。黙示録はイエス様がヨハネを用いてこの時代のクリスチャンを励ますために書かせたものです。キリストの再臨と邪悪のさばき、永遠の救いと進展新地が示されています。 新天新地はキリストが再臨して世界の罪を裁き、新しい時代を切り開いたときに神様から与えられる新しい信仰の世界です。新しいエルサレムと飾られた花嫁とは同一のもので、聖化された教会であり、聖化された礼拝です。教会は清いところ、クリスチャンは清い人と言われても完全ではなく完璧でもありません。 しかし、新天新地においては完全な礼拝がささげられるようになります。現在の私たちの礼拝生活は神様の恵みと祝福で満たされておりますが、完全でないことはわかっています。これが最終であるはずはないと私も思います。神様は私たちのためにさらに優れた完全無欠な礼拝生活を準備していてくださるのです。 それが新天新地です。名実ともにキリストが私たちと共に生きる世界です。キリストが私たちの「目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない」そういう時代が来るのです。迫害され、投獄され、殺されても、その先にあるのが永遠の救いと新天新地です。じっくり祈りその日を待っていたいと思います。すべてイエス様がやってくれます。 祝福を祈ります。