今日の聖句4月21日(火)\(^o^)/ ダニエルは穴から引き上げられたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。 ダニエル623 目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。雄々しく、強くありなさい。 1コリント16:13 ***************** 今週のテーマ:身を献げる きょうの聖書:創世記22:4-8 創世記22章7節8節 イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」彼は「何だ。わが子よ」と答えた。イサクは尋ねた。「火と薪はありますが、全焼のささげ物にする羊は、どこにいるのですか。」アブラハムは答えた。「わが子よ、神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださるのだ。」こうして二人は一緒に進んで行った。 「神様が最終責任者」 アブラハムがベール・シェバに住んでいた時、神様はアブラハムに嫡子「イサクをいけにえとして私にささげなさい」と命じました。アブラハムはビックリ仰天したことと思います。神様からアブラハムの子孫が全世界の祝福の元になるという約束をもらっていたので嫡子のイサクが死んでしまってはその約束も反故になるかもしれません。 しかし、アブラハムは一晩祈った後、従者を連れて神様が指定したイサクをいけにえにする場所に出かけました。その場所とは、エルサレムの神殿が建てられたところで、現在はイスラム教の黄金のドームが建っています。その近くまで来たときにイサクがアブラハムに「火と薪はありますが、全焼のささげ物にする羊は、どこにいるのですか」と質問しました。 アブラハムは「わが子よ、神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださるのだ」と答えています。イサクが死んでしまった後は神様がすべてに責任を持ってくださるという信仰が読み取れます。へブル書ではアブラハムは「神には人を死者の中からよみがえらせることもできると考えました」と説明されています。 現実にはアブラハムがイサクの体に刀を振り下ろそうとしたときに、神様からの中止命令とともに藪に角を絡ませた羊が現れたのです。この話は神様が御子イエス様を犠牲にすることの予告であり、模型でした。神様はこのことによってアブラハムが完全に神様の命令に従うことを見極めたのです。アブラハムは神様が最終責任を取ってくれるので自分としてはみことばに従うことが最も大事だと考えたのです。 祝福を祈ります。