今日の聖句4月19日(日)\(^o^)/ 主は荒野の地で、荒涼とした荒れ地で彼を見つけ、これを抱き、世話をし、ご自分の瞳のように守られた。 申命記32:10 小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。 ルカ12:32 **************** 今週のテーマ:身を献げる きょうの聖書:へブル10:1-7 へブル人への手紙10章5節6節7節 キリストは、この世界に来てこう言われました。「あなたは、いけにえやささげ物をお求めにならないで、わたしに、からだを備えてくださいました。全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物をあなたは、お喜びにはなりませんでした。そのとき、わたしは申しました。『今、わたしはここに来ております。巻物の書にわたしのことが書いてあります。神よ、あなたのみこころを行うために。』」 「イエス様の献身」 へブル人への手紙著者も執筆年代も執筆場所も不明です。書かれた目的は、一度クリスチャンになって再びユダヤ教に戻ろうとして迷っている人にむけてイエス・キリストの救いのすばらしさを訴えている点に在ります。旧約聖書の中にも動物を犠牲にすることによって人の心がきよくなることはないと言われていますがへブル書もそのことを力説しています。 動物犠牲ではなく、神の御子イエス・キリストが犠牲になって全世界のすべての人の罪を決定的に赦してしまい、全世界のすべての人の心をきよめてしまったのでユダヤ教に逆戻りする必要はないと言っているのです。そして、イエス・キリストが生まれたのは全焼の献げものとして自分を神様に献げるためだったことが明らかにされています。 私たちクリスチャンにとって自分自身を神様に献げるという信仰はとても重要です。自分を神様に献げるということは、自分の満足ではなく、神様の御満足を求めて生きるということです。それは神様が褒めたたえられるために生きる人生と言い換えることができます。イエス・キリストの人生はまさにその通りの人生でした。 イエス様は「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです」(ルカ9:23-24)という言葉を遺して私たちを信仰生活に招いています。私たちも神様に自分を捧げる生き方に倣ってゆきたいと思います。 祝福を祈ります。