今日の聖句4月6日(月)\(^o^)/ わたしが彼のために、多くのおしえを書いても、彼らはこれを他国人のもののように見なす。 ホセア8:12 わたしは、真理について証しするために生まれ、そのために世に来ました。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。 ヨハネ18:37 ****************** 今週のテーマ:十字架 きょうの聖書:イザヤ53:10-12 イザヤ書53章10節11節 彼を砕いて病を負わせることは主のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。」 「御子の犠牲」 彼とは、イエス・キリストです。病を負わせるのは御父です。イエス様が私たち罪びとを罪と死の力から解放するためにいのちを代償に差し出すなら、それを受け入れた私たち罪びとは神の子とされて末永くキリストの御業は称えられることになるとイザヤが言っています。 イエス・キリストの十字架の受難は御父にもイエス様にも、そして私たちにも救いの完成の決定的な証拠になるのです。知らない街を歩いていても、電車の中からでも教会の屋根に立つ十字架が見えます。十字架を仰ぎ見る時、イエス・キリストが私たちの罪と病と傷を一身に背負って犠牲になってくださったことを思い出します。 キリストが死ななければならなかった理由は私たちが罪を犯すことを止めないからです。私たちが神様に対して犯した罪を清算するには御子キリストのいのちが差し出されなければならなかったのです。私たちは無意識のうちにやすやすと罪を犯していますが、その罪はキリストが死ななければならないほどの大きな罪なのです。 止めなければならない悪行を止めず、実行しなければならない善行を行わず、自分の安楽を優先にすること、惰性に流されてしまい、毅然としてキリストの道に立って歩かないことがキリストを苦しめるのです。今日は受難週の月曜日で、イエス様が十字架に備えてエルサレム神殿で「庭きよめ」をした日です。私たちの心もイエス様にきよめていただきたいと思います。 祝福を祈ります。