今日の聖句3月27日(金)\(^o^)/ 人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒やしがたい。だれが、それを知り尽くすことができるだろうか。わたし、主が心を探り、心の奥を試し、それぞれその生き方により、行いの実にしたがって報いる。 エレミヤ17:9-10 私たちは自分が真理に属していることを知り、神の御前に心安らかでいられます。たとえ自分の心が責めたとしても、安らかでいられます。神は私たちの心よりも大きな方であり、すべてをご存じだからです。 1ヨハネ3:19-20 ****************** 今週のテーマ:十戒 きょうの聖書:マルコ12:13-17 マルコの福音書12章14節 「先生。私たちは、あなたが真実な方で、だれにも遠慮しない方だと知っております。人の顔色を見ず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、カエサルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないでしょうか。」 「罠」 これはユダヤ教のパリサイ派の人たちとユダヤ政党であるヘロデ党の人たちが企てた罠(わな)です。ローマ皇帝に税金を納めなさいと言えば神様を無視し、律法に反する大罪であるため処刑すると言い、治めるべきではないと言えば、ローマに逆らう反逆者としてローマ皇帝に告発しようという両天秤の策略です。 イエス様はそれを見抜いて、「デナリ銀貨を持って来て見せなさい」と言われ、銀貨を見ながら「これは、だれの肖像と銘ですか」と訊き、彼らは、「カエサルのです」と言ったのです。それでイエス様は「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」と答えたので彼らはイエス様のことばに驚嘆したということです。 律法も規則も完全ではありません。律法や規則によって競争相手を始末してしまおうということは昔も今も多くの策略家が採用している悪知恵です。最近の電話などで仕掛けられてくる特殊詐欺も同じような手口であるのです。キリストに頼り、キリストの言葉に準拠して生きていくことが最良の防御策にもなります。 カエサルのものはカエサルに、神のものは神にという言葉には、庶民が皇帝の支配を受けていることは確かです、しかし、人生には皇帝の支配が及ばない部分があるということを主張しているのです。行政や軍事力によっては解決できない問題も、神様には解決の力があります。私たちは神様の保護の中で生かされているのです。