今日の聖句3月15日(日)\(^o^)/ 神は彼に仰せられた。「あなたがこのことを願い、自分のために長寿を願わず、自分のために富を願わず、あなたの敵のいのちさえ願わず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を願ったので、見よ、わたしはあなたが言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに、知恵と判断の心を与える。 1列王記3:11-12 まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。 マタイ6:33 **************** 今週のテーマ:イエスのいましめ きょうの聖書:マルコ8:31-35 マルコの福音書8章33節34節35節 イエスは振り向いて弟子たちを見ながら、ペテロを叱って言われた。「下がれ、サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」それから、群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者は、それを救うのです。 「自分の十字架」 イエス様は弟子たちにエルサレムでユダヤ教の指導者たちによって殺され、その後よみがえることになると告げました。それを聞いたペテロがイエス様をいさめたのです。イエス様はぺてろを「下がれ、サタン」の言葉でしかりつけました。イエス様の十字架の死と復活は天命なのです。 そしてイエス様は弟子たちと群衆に向かって「自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」と命じました。私たちが自分の十字架を負うとは、私たち一人ひとりに与えられている天命を果たしていくことです。自分が生まれた理由と、自分の人生に神様から与えられている使命を自覚して生きることができる人は幸いです。 私たちは神様の御手によって、神様のために生きるために造られたのです。自分のいのちを救おうと思うということは、わがままを貫いて神様と無縁の生活をしようと思うことです。そういう人の一生には何の意味もなく、何の実りもありません。ただ生きて死んでしまうだけです。 イエス様はイエス様の十字架を負って生き、天命を全うして天の御国に凱旋し、今は永遠の救い主として輝いています。私たちも私たちの十字架を負ってキリストに従い、自分に与えられている責任を果たして天の御国に進んでいきたいと思います。私たちクリスチャンの責任は福音を証しすることです。福音を証しないまま人生を終わることのないようにしたいと思います。 祝福を祈ります。