今日の聖句3月14日(土)\(^o^)/ いのちの泉はあなたとともにあり、あなたの光のうちに私たちは光を見るからです。 詩篇36:9 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。 1ヨハネ5:12 ***************** 今週のテーマ:新しい教え きょうの聖書:ルカ6:1-5 ルカの福音書6章1節〜5節 ある安息日に、イエスが麦畑を通っておられたときのことである。弟子たちは穂を摘んで、手でもみながら食べていた。すると、パリサイ人のうちの何人かが言った。「なぜあなたがたは、安息日にしてはならないことをするのですか。」イエスは彼らに答えられた。「ダビデと供の者たちが空腹になったとき、ダビデが何をしたか、どのようにして、神の家に入り、祭司以外はだれも食べてはならない臨在のパンを取って食べ、供の者たちにも与えたか、読んだことがないのですか。」そして彼らに言われた。「人の子は安息日の主です。」 「安息日問題」 モーセの十戒に「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ」という項目があります。イエス様の時代、ユダヤ人の間では安息日(土曜日)にしてはならないことがこまごまと定められていました。麦の穂を摘んで食べることは農作業に当たることだからとして禁じられていたのです。 パリサイ人から弟子たちが咎められたので、イエス様はダビデが神殿で祭司以外は食べてはいけないとされていたパンを食べた故事を例に挙げて反論し、安息日であっても、道端の畑の麦を摘んで食べることは間違いではないと教えたわけです。古代のユダヤ社会には道沿いの農作物は旅人のものという考えもありました。 安息日の規定に代表されるユダヤ教の律法がユダヤ人を縛り付けて、とても窮屈なの生活を強いていたのです。イエス様は決定的に「人の子は安息日の主です」という新しい判断を下されました。この言葉は新約聖書の中でキリストの言葉として再々述べられています。安息日は人間のために設けられているのだということを明確にしています 人を救うための聖書で人を苦しめては本末転倒です。イエス様は律法主義そのものを否定し、「救いは信仰だけによる」という基本を教えられたのです。パウロは「人は律法の行いとは関わりなく、信仰によって義と認められると、私たちは考えているからです」(ローマ3:28)と述べています。それでなければ人が救われることはあり得ないのです。 祝福を祈ります。