今日の聖句3月13日(金) \(^o^)/ あなたは耳の聞こえない人を軽んじてはならない。目の見えない人の前につまずく物を置いてはならない。あなたの神を恐れよ。 レビ 19:14 互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。 ガラテヤ6:2 *************** 今週のテーマ:新しい教え きょうの聖書:マタイ6:16-18 マタイの福音書6章16節 あなたがたが断食をするときには、偽善者たちのように暗い顔をしてはいけません。彼らは断食をしていることが人に見えるように、顔をやつれさせるのです。まことに、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。 「断食」 善行も祈りもそして断食も人に見せるためではなく、クリスチャンのキリストに対する奉仕として行われなければならないものです。古代のユダヤの国では、断食をすることが信仰が篤いことを証しすると思われていたようです。イエス様は断食する場合には身だしなみを整え、明るい表情を保つように震災と教えられました。 断食は良いものです。私たちが採用している弟子訓練のコースにも「断食」があります。イエス様も40日の断食を何回も行っていたようです。断食はいきなり始めると難しいので、初めは一食抜き、次いで二食抜き、さらに、24時間断食、48時間断食という具合に徐々に段階を踏んで進めていくのがいいです。 私は献身して2年目に96時間断食を半年間続けたことがありました。その間の生活は日常のすべてを省略せずに、すべて通常通りにこなしていましたので、私が断食していることは炊事当番と数人の同室者だけしか知らなかったはずです。薪割も力いっぱいやりましたし、バイブルキャンプの奉仕も手抜きはしませんでした。 断食中は身も心もすがすがしくさわやかな気持ちで生活できました。今から20年位前になりますが、新宿の淀橋教会を会場にして「断食祈祷聖会」が数年連続して開催されていてた時期もありました。特に聖協団では受難週の断食が進められ、受難日には断食をしてキリストの十字架を偲ぶこともしています。機会があったら再び断食に挑戦してみたいと思います。 祝福を祈ります。