今日の聖句3月5日(木)\(^o^)/ あなたの神、主の命令を守って主の道に歩み、主を恐れなさい。 申命記8:6 あなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。 2テモテ3:14 ***************** 今週のテーマ:誘惑 きょうの聖書:1コリント5:6-11 コリント人への手紙第一5章9節10節11節 私は前の手紙で、淫らな行いをする者たちと付き合わないようにと書きました。 それは、この世の淫らな者、貪欲な者、奪い取る者、偶像を拝む者と、いっさい付き合わないようにという意味ではありません。そうだとしたら、この世から出て行かなければならないでしょう。私が今書いたのは、兄弟と呼ばれる者で、淫らな者、貪欲な者、偶像を拝む者、人をそしる者、酒におぼれる者、奪い取る者がいたなら、そのような者とは付き合ってはいけない、一緒に食事をしてもいけない、ということです。 「罪の誘惑への警戒」 世の中の人たちがどう生きているかということについて、とやかく言っているのではないとパウロは言います。そうではなく、クリスチャンとして歩んでいるいわば内部の人たちの中に、不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいる場合には、関わり方に注意が必要であり、その生き方について正す必要があるとパウロは忠告しています。 ここにあげられている問題点は、一度や二度という間違いではなく、それが習慣になっており、それを誇りにし、改めようとしない人たちに対する警告です。自分は正しいと主張しつつ、それらの悪の中に生き続けるとしたら、周囲への悪影響はかなりあります。 当時の人たちにとって、教会の集まりだけが身分の差や男女差別を感じさせず、歓迎の心を感じる場であったとすれば、それを壊してしまう可能性のある不品行な「みだらな人」の存在はまさに危険なものだったのです。教会には性の乱れは在ってはならないのです。それは教会を破壊する悪魔の仕業だからです。 罪を犯し続けている人と濃厚接触すると罪に感染します。そのことを警告しながらパウロは教会に対して、淫ら、貪欲、偶像を礼、人をそしる、酒におぼれる、奪い取るという罪の誘惑に陥らないようにと厳しく命じているのです。自分の足元には常に注意していることが大事です。 祝福を祈ります。