今日の聖句3月4日(水)\(^o^)/ 主を恐れる者たちよ主に信頼せよ。主こそ助けまた盾。 詩篇115:11 あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか・・・知ることができますように。 エペソ:1:18 *************** 今週のテーマ:誘惑 きょうの聖書:1コリント3:18-23 コリント人への手紙第一3章18節19節20節 だれも自分を欺いてはいけません。あなたがたの中に、自分はこの世で知恵のある者だと思う者がいたら、知恵のある者となるために愚かになりなさい。なぜなら、この世の知恵は神の御前では愚かだからです。「神は知恵のある者を、彼ら自身の悪巧みによって捕らえる」と書かれており、また、「主は、知恵のある者の思い計ることがいかに空しいかを、知っておられる」とも書かれています。 「謙遜になって」 自分を知恵のある者だと思うと隣人が愚かに見えるということがあります。自分と他人を比較して考えるということは多々あることであす。同じく、自分を無知だと思うと隣人が妬ましく思えてしまうこともあるかもしれません。キリストと自分の関係の中で生きるなら己惚れることも嫉妬することもないのです。 クリスチャンになって救いの確信を持てるようになると、救われてない人が自分より低く見えてしまうということもあります。ですから、パウロは私たちに自分は知者だとは思うなと警告するのです。本当に知識のあるものになるために自分の未熟を知り、神様から十分な教育を受けて立派なクリスチャンになりなさいと導いているのです。 日本が幕末だったころ、アメリカで南北戦争が行われていたころ、キリスト教会では新神学というものが起こり、科学が宗教に勝った、人間は科学を手に入れたので宗教も神もいらない、もともと神は存在しなかったのだという声が上がったことがあったのです。この世の知恵とはそういう知恵です。 神様は、神様を否定する人間の知恵の空しさをよくご存じです。隣人を見下し、神様を見下し、自分には知恵があると考えて謙遜という徳を身につけないと成長したクリスチャンとは思われません。キリストに信頼し、キリストの謙遜を模範にして生きる人がクリスチャンです。神様を崇め、隣人を尊敬して生きる道に進みまょう。 祝福を祈ります。