今日の聖句3月3日(火)\(^o^)/ 主よ御怒りで私を責めないでください。あなたの憤りで私を懲らしめないでください。 詩篇6:1 神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。 1テサロニケ5:9 *************** 今週のテーマ:誘惑 詩篇42篇6-11 詩篇42篇10節11節 私に敵対する者たちは私の骨を砕くほどに私をそしり絶えず私に言っています。「おまえの神はどこにいるのか」と。わがたましいよなぜおまえはうなだれているのか。なぜ私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い私の神を。 「神を待ち望め」 誘惑とは罪に誘うことであり、罪を犯すようにそそのかすことです。その誘惑の一つに信仰の確信を揺るがせて疑心を持たせるというものががあります。戦国時代の武将の戦い方の一つに「調略」という手法がありました。敵方の武将に主君への疑心を植え付け自軍へ転向させる作戦です。 秀吉はこの手法で戦わずして敵の力を削ぎ、戦いを有利に進めていました。今、大河は光秀ですが、本能寺の変は光秀がそそのかされて起した事件だという噂はその当時から多くあったようです。サタンは私たちの心に神様への疑心を抱かせるという誘惑を仕掛けてきます。 サタンはダビデの心にも「おまえの神はどこにいるのか」という言葉を投げかけて誘惑しています。祈っても答えられないではないか、神はお前を助けないではないかと誘惑し続け、しまいには、目に見えない神など信じるなと畳みかけてくるのです。しかし、ダビデは「神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い私の神を」と切り返して誘惑に負けませんでした。 キリストを待ち望む信仰、キリストの再臨を待ち望む祈りはサタンの誘惑に対抗する手段として極めて有力です。弾圧や迫害にあいながらも信仰を全うした人々は再臨を待ち望む信仰と祈りでサタンと戦ってきたのです。キリストは私たちの目に見えなくても「しかり、わたしはすぐに来る」と確約しています。私たちは「アーメン。主イエスよ、来てください」と応答して戦っています。この祈りが続く限り私たちが誘惑に負けることはありません。 祝福を祈ります。