今日の聖句2月12日(水)\(^o^)/ わたしは、あなたが若かった日々にあなたと結んだ契約を覚えて、あなたと永遠の契約を立てる。 エゼキエル16:60 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。 1ペテロ5:10 **************** 今週のテーマ:主の言葉を心に留めよ きょうの聖書:1コリント13:1-3 コリント人への手紙第一13章1節2節3節 たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません。 「愛が大事」 ここに書かれている愛という言葉はギリシャ語のアガペーという単語が用いられています。それは「神の愛」「神からの愛」「無条件の愛」と考えると理解しやすいかもしれません。私たちの生活の中に神からの愛が加えられることで、語る言葉に意味が生じ、持っている知識も意味あるものとなります。また、それがあれば奉仕活動が麗しいものとなるのです。 私たちの行動に愛がないとすれば、説教も、賜物や知識も、自己宣伝、自己誇示の道具にしかなりません。それは、神を喜ばせるものにはなりません。慈善活動や殉教でさえ、そこに神の愛がなければ、自己実現の道具となり、神様にとっては無益なものになってしまうのです。つまり、愛がなければ、神の心にかなうことができないのです。 どんなに良いことをしていても、神の愛を受けて、それを実行していなければ、神様の期待に応えることができていないのです。前の12章で賜物について語っていましたが、賜物や能力を磨き、それを用いて、有効活用することだけを目的にしてしまうと、いつの間にか味気のない、競争と表面的な作業だけが残ります。 本来、賜物は「恵み」を表明するもの、神の愛が伝えられるようにと与えられたものなのです。ですから、神の愛が日常生活の中にしっかり経験されることによってのみ、賜物を神の愛を分かち合うために用いることができるようになるのです。「神様の愛で私を包んでください」これが今朝の私の祈りです。 祝福を祈ります。