今日の聖句2月4日(火)\(^o^)/ 苦しむ者や貧しい者が水を求めてもそれはなく、その舌は渇きで干からびる。わたし、主は彼らに答え、イスラエルの神は彼らを見捨てない。 イザヤ41:17 わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。わたしは渇く者に、いのちの水の泉からただで飲ませる。 黙示録21:6 **************** 今週のテーマ:主の望み きょうの聖書:ガラテヤ6:1-5 ガラテヤ人への手紙6章1節2節 兄弟たち。もしだれかが何かの過ちに陥っていることが分かったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。 「重荷を負い合うこと」 1節から6節までで、ガラテヤの教会に対する指導の言葉が書かれています。それは、罪を犯してしまった兄弟に対して柔和な心で正してあげることです。自らも誘惑されないように。互いに重荷を担いあうように。高慢にならないように。決して威張らず、自分の立場をわきまえ、自分の責任を自覚するように。教師の負担を担い、善を継続的に実行するようになどです。 特に、互いに重荷を担いあうことの重要性が目に留まります。なんでも思い通りに「人助け」ができるかと言うと決してそんなことはありません。各自がそれぞれの自分の分を知ることが必要であり、謙遜さと誠実さを身につけなければ円滑な人間関係は育ちません。自分の置かれている環境と自分の立場は見失ってはならないと教えられます。 パウロはこの文章の中に柔和な心を忘れるなと語り、実際には大したものでもないのに、自分を立派な人間ででもあるかのように思ってはならないと教えています。私たちは他の人を責められるようなものではないのです。誰にでも罪の誘惑はあるからです。 言わなくても良いことを口走り、やらなくても良いことをやってしまうという後悔、言うべきことが言えなかった、やるべきことができなかったという後悔は何歳になっても繰り返され、ついてくるような気がします。不甲斐なさに身を切られるような哀しさを感じることは誰にでもあるものです。 祝福を祈ります。