今日の聖句1月31日(土)\(^o^)/ ハンナは答えた。「いいえ、祭司様。私は心に悩みのある女です。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に心を注ぎ出していたのです。」 サムエル1:15 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。 1ペテロ5:7 **************** 今週のテーマ:すべての人に きょうの聖書:ピリピ3:12-14 ピリピ人への手紙3章12節13節14節 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。 「キリストを目標にして走る」 パウロはキリストの愛に包まれて生活する者としての自覚を持っていました。毎日毎日本気になってキリストを追い求める姿勢を貫いた人でした。うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っていた人生でした。 彼は自分のユダヤ人という立場もローマの市民権を持っているという立場も、学歴も、知識も経験も、キリストを深く知ることのために妨げとなるなら、それらを誇ることを一切やめて、学ぶ人として、キリストに捉えられた存在としてキリストの喜ぶ生き方を求めながら、前向きに進んだのです。 それは人が見ていても、いなくても、牢獄の中でさえそうでした。キリストが「主」 であり、自分はそのお方の「しもべ」として生きられる喜びを彼は決して失っていませんでした。これがきよい生き方というものです。キリストはすべての人にご自分を手本として与えてくださったのです。 ですから私たちは、キリストが何を考え、どのように生き、どのように行い、私たちに何をしてくださったのかを具体的に知ることが必要です。キリストは神の国を考え、愛に生き、謙遜に神様に仕え、私たちに救いと解放を与えてくださいました。キリストの人生には罪は微塵も存在しなかったのです。私たちもそのような生き方を目指して一身に走るのです。 祝福を祈ります。