今日の聖句1月21日(火)\(^o^)/ わたしはあなたがたを奴隷の身分から救い出すために、エジプトの地から導き出した。わたしは、あなたがたのくびきの横木を砕き、あなたがたが自立して歩めるようにした。 レビ26:13 キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい。 ガラテヤ 5:1 **************** 今週のテーマ:献げる きょうの聖書:ヨハネ3:14-18 ヨハネの福音書3章14節15節16節 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 「御子の犠牲」 昔、イスラエル民族が生まれる前、神様はアブラハムに一子イサクを犠牲に献げなさいと命じました。イサクはイスラエルの生みの親になるべき存在でしたがアブラハムは自分の子よりも神様を愛し、神様を掛け替えのない最も大切なものとして一子イサクを犠牲にする決心をしました。 今、神様はご自分のひとり子イエス様を私たち罪深い人間のために犠牲にして下さいました。私たちはこれほど神様から愛されているのです。私たち一人一人の罪人は、神様の目から、ひとり子イエス様と同じように大切だと、それ以上に愛していると、熱い視線で見られているのです。 「滅びる」という言葉は「我と我が身を見失う」という意味です。「迷える子羊」という表現がありますが、自分がどこにいるか分からなくなった状態、帰り道を失ったということが滅びたということです。「前途を悲観する」というのが「絶望」を意味する言葉として使われていますが、似ている使い方だと思います。 「永遠のいのちを持つ」とは直接的には「キリストと共に生きる」ということです。イエス様の別名はインマヌエルで「神は私たちとともにおられる」と訳されています。限りない愛をもって愛してくださるイエス様と共に生きるということ以上に大きな幸せがあるでしょうか。私たちはイエス様によって私たちのお父様である神様の御前に復帰できたのです。 祝福を祈ります。