今日の聖句1月18日(土)\(^o^)/ あなたのわざ、あなたの力あるわざのようなことができる神が、天あるいは地にいるでしょうか。 申命記3:24 すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。 ローマ11:36 **************** 今週のテーマ:洗礼を受ける きょうの聖書:詩篇26:8-12 詩篇26篇8節〜12節 主よ私は愛します。あなたの住まいのある所あなたの栄光のとどまる所を。どうか私のたましいを罪人どもとともに私のいのちを人の血を流す者どもとともに取り去らないでください。彼らの手には悪事がありその右の手は賄賂で満ちているのです。しかし私は誠実に歩みます。私を贖い出してください。あわれんでください。私の足は平らな所に立っています。数々の集いで私は主をほめたたえます。 「神様への愛と賛美」 詩篇26篇はダビデがサウルから命を狙われていた時の心境を歌った詩であると言われています。ダビデには国王から命を狙われるような罪はありませんでした。ダビデはサウル王に向かって自分の正義を主張することはなく、神様に対して正しく生きている自分に救いを与えてくださいと祈りました。 そればかりか、ダビデは自分が逆境に置かれているにもかかわらず、神様を愛し、神様に賛美を捧げています。それはイエス・キリストの人生にも貫かれていた生き方でした。その信仰の姿勢のたまものとして恐怖心を取り除かれて「私の足は平らな所に立っています」いうことができる安らぎを神様からいただいているわけです。 不平と不満が微塵も感じられないダビデのこのような謙遜で従順な信仰が多くのクリスチャンに希望を与えています。私たちはキリストを模範にするのですが預言者ナタンに指摘されたような大罪を犯しながらも、神様の哀れみを受けて赦されているダビデに親近感も感じますし、お手本にもなるのです。 私たちもキリストの十字架の死と復活によって救われ、神の子とされ、洗礼を受けてクリスチャンとされたものとして、タビデのように常に神様を愛し、神様を賛美しながら生きる人生を送らせていただきたいと思います。ここに安らぎと希望の源泉があるのです。 祝福を祈ります。