今日の聖句1月17日(金)\(^o^)/ モーセとアロンはファラオのところに行き、彼に向かって言った。「ヘブル人の神、主はこう言われます。『いつまで、わたしの前に身を低くするのを拒むのか。わたしの民を去らせ、彼らがわたしに仕えるようにせよ。 出エジプト10:3 わたしは狼の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。 マタイ10:16 **************** 今週のテーマ:洗礼を受ける きょうの聖書:1ペテロ3:18-22 ペテロの手紙第一3章20節21節 その箱舟に入ったわずかの人たち、すなわち八人は、水を通って救われました。この水はまた、今あなたがたをイエス・キリストの復活を通して救うバプテスマの型なのです。バプテスマは肉の汚れを取り除くものではありません。それはむしろ、健全な良心が神に対して行う誓約です。 「洗礼とノアの箱舟」 ペテロはノアの箱舟と洗礼を重ねて考えています。暴虐に満ちた世界に住んでいた人たちのうち神様によって設計された箱舟に入ったノアの家族八人は大洪水が起こってもかろうじて救われましたが、箱舟をあざけった人たちは水に飲まれて死んでしまったのです。 ペテロはノアの時代の大洪水を洗礼の時の水に当てはめて考えています。ノアとその家族も洗礼を受けたクリスチャンも同じように水から引き上げられて救われているということです。大洪水も洗礼の水もともに水没という形の神様の裁きを表しています。神様の怒りと刑罰からの救いです。 ペテロは洗礼の水が人間の持つ罪の穢れを取り除くのではなく、イエス・キリストの復活が人の罪を赦し、人間が持つ罪の穢れを取り除くのだと明言しています。それはペテロ自身が経験したことなので言えることなのです。私たちも復活の主への信仰によって救われるのです。 更にペテロは、洗礼とは健全な良心が神に対して行う誓約ですと言いました。神様の存在を否定し、キリストの愛を無視して暗闇の中に生きていた人が、洗礼を受けたのちは、神様を信頼し、キリストの愛に包まれて生きてゆきますという約束を神様との間で交わすことだと説明しているわけです。洗礼の意味を考えながら今日も一日元気な信仰で生きて行きたいと思います。 祝福を祈ります。