今日の聖句1月14日(火)\(^o^)/ もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。 創世記4:7 事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。わたしは渇く者に、いのちの水の泉からただで飲ませる。 黙示録21:6 **************** 今週のテーマ:洗礼を受ける きょうの聖書:エペソ2:1-7 エペソ人への手紙2章4節5節6節 あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。 「死からいのちへ」 「罪過の中にに死んでいたこのわたしたち」とパウロは書きました。この「死」はまず「神との関係における死」であり「神を喜ばせる生き方ができないという霊的能力における死」でもあります。死とは、断絶状態、無能力状態、或いは「無効状態」と言えるかもしれません。 神様は死んだような私たちへの愛を常に持っておられ、私たちをキリストの贖いによって赦し、生かし、天上に座らせてくださったとパウロは書いています。キリストによってもたらされた関係の回復は、私たちが考えているよりもはるかに祝福あふれるものであり、神様は私たちをまるでご自分の後継ぎのような立場にまで引き上げてくださいました。私たちは死からいのちに移されたのです。 私たちは「神が備えてくださった善い行い」(10)を行うことができるようになってきます。キリストによってもたらされた「いのち」は私たちと神との関係修復と、私たちの内面的な意欲の回復をもたらすのです。キリストは、私たちの罪を赦し、私たちが神を喜び、神を喜ばせながら生きられるようにしてくださったのです。 そもそも洗礼とは、罪びとである私たちの身体を水に沈めることによって処刑し、水から上がることによって神の子として復活することを具体的に表現する儀式なのです。罪びとである私たちは死んで、神の子として新しい人生に立ち上がりました。それを自覚して明るく元気にキリストを見つめる信仰生活をしてゆきましょう。 祝福を祈ります。