今日の聖句1月2日(木)\(^o^)/ 神である主は、すべての顔から涙をぬぐい取り、全地の上からご自分の民の恥辱を取り除かれる。 イザヤ25:8 望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。 ローマ12:12 **************** 今週のテーマ:世の光 きょうの聖書:1ヨハネ1:5-10 ヨハネの手紙第一1章5節6節7節 私たちがキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、神は光であり、神には闇が全くないということです。もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであり、真理を行っていません。もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。 「闇を消す光」 神様の光は私たちの心の中を照らし、私たちの心にある罪を明らかにして、更にその罪を消滅させる光です。神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩むというのは、本来光の中に身を置くべきなのにそれを拒否し、表面的にそれらしい真似事をしながら生きている状況を指しています。それは自分を見せたいだけの生き方であり、神様に従う生き方とは違います。 私たちという言葉が使われているのは、教会全体に対する教えだからです。つまり個人に対してばかりではなく教会全体に対しても語られているのです。ヨハネが勧めているのは、「神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩む」という生き方です。神様の光の中で生きる人の罪は消されるからです。 ヨハネは私たちに、自分のわがままな心を「主人」として闇の中に身を置くのか、それとも神様を信頼して光の中に身を置くのかと言って、私たちに信仰の決断を迫っているのです。常に自分の願いと思いを主にして神様の愛と教えとを無視し続けるなら、表面的には宗教的でも、それは闇の中を歩む生き方に通じています。 お互いが神様のみことばの光のもとに身をおき、神様の愛の光のもとに生きるなら交わりが生まれ、あらゆる罪から清められるとヨハネは教えています。罪ある私たちが光の中に身を置き、神様の主権を認めつつ生きることで、十字架へと導かれ、赦しと清めとが与えられるのです。すべての光というものは闇を消滅させる力があります。 祝福を祈ります。