今日の聖句12月15日(日)\(^o^)/ 数々の咎が私を圧倒しています。しかし私たちの背きをあなたは赦してくださいます。 詩篇65:3 幼子よ、あなたこそいと高き方の預言者と呼ばれる。主の御前を先立って行き、その道を備え、罪の赦しによる救いについて、神の民に、知識を与えるからである。 ルカ1:76-77 **************** 今週のテーマ:主が来られるまで きょうの聖書:1コリント4:1-5 コリント人への手紙第一4章4節5節 私には、やましいことは少しもありませんが、だからといって、それで義と認められているわけではありません。私をさばく方は主です。ですから、主が来られるまでは、何についても先走ってさばいてはいけません。主は、闇に隠れたことも明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのときに、神からそれぞれの人に称賛が与えられるのです。 「先走ったさばき」 コリント教会には派閥と仲間割れがありました。互いに批判し、互いに裁き合い、パウロに対しても攻撃が向けられていたのです。それはキリストの教えに反することで、キリスト教会としてはあってはならないことで。それで、パウロは明確にさばいてはいけないと指導しています。 パウロは人からの評価をあまり気にせずに生きているようです。自分の生き方に後ろめたさを感じることなく、自信を持って生きています。しかし、だからといって、それがそのまま神に受け入れられているとはパウロは断定していません。やがて主が来られるとき、最終的な評価がくだされるからです。 主が来られるまでは、「何についても先走ってさばいてはいけません」という言葉をしっかり心に留めたいものだと思います。私たちは第一印象とか、他の人から受けた情報や、自分の知っているわずかなことだけで、極端な評価を下してしまいやすいのです。 「みんながやっている」とか「みんなが知ってる」というときの「みんな」とは何人なのでしょう。そして「みんな」とはだれのことでしょう。大抵の場合、自分とごく少数の同調者だけということが多いのです。自分のさばきを「みんな」のさばきにしているのです。福音書に記録されている毒麦のたとえを思い出しました。 祝福を祈ります。