今日の聖句11月5日(水)\(^o^)/ 起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。 イザヤ60:1 わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。 ヨハネ12:46 *************** 今週のテーマ:この世の権威 きょうの聖書:ヨハネ19:1-16 ヨハネの福音書19章10節11節 ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」 「何の権威」 これは、ローマからユダヤに派遣されている総督ピラトと逮捕されたイエス様との会話の一部です。18章28節から19章16節まで、28節を費やしています。18章38節では「私は、あの人には罪を認めません」19章4節は「あの人に何の罪も見られない」19章6節は「私はこの人には罪を認めません」19章12節でも「ピラトはイエスを釈放しようと努力した」と記されています。 1回目はバラバを処刑してイエス様を釈放すると言い、2回目はむち打ちだけで釈放しようとし、3回目は処刑しないと言い、4回目はイエス様に向かって「私にはあなたを釈放する権威がある」と言って、ピラトはイエス様を赦免する努力を重ねています。しかし、ピラトの権威は通用しませんでした。 私たちこの福音書の読者は、イエス様が確かに罪のない御方として、あえて十字架の道を選び取っていることを知らされます。5節の「さあ、この人です」という言葉は、口語訳では「見よ、この人だ」新共同訳では「見よ、この男だ」リビングでは「よく見ろ、この男だ」現代訳では「ほら、この男だ」永井訳は「見よ。この人」文語では「見よ此その人なり」訳されています。 罪のない御方が、ピエロのような姿にされ、あざけられ、平手打ちされ、罵られて、公衆の面前に立たされています。「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」(イザヤ53:7)で予言されたメシヤはこの人だと、この福音書はピラトの台詞として訴えています。 祝福を祈ります