今日の聖句10月15日(火)\(^o^)/ わたしはあなたを国々の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。 イザヤ49:6 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。 ピリピ[2:9 ***************** 今週のテーマ:全世界の交わり きょうの聖書:使徒15:6-11 使徒の働き15章7節8節9節 多くの論争があった後、ペテロが立って彼らに言った。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は以前にあなたがたの中から私をお選びになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされました。そして、人の心をご存じである神は、私たちに与えられたのと同じように、異邦人にも聖霊を与えて、彼らのために証しをされました。私たちと彼らの間に何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。 「皆同じ」 パウロやバルナバがシリヤのアンテオケで伝道していた時、エルサレムから元ユダヤ教徒でクリスチャンになった人たちが下ってきて、アンテオケで新たに信者になった人たちに、「ユダヤ教の割礼を受けなければ救われない」と言ったのです。それでアンテオケ教会に激しい対立と論争が起こってしまったのです。 この問題を解決するためにパウロとバルナバはエルサリレム教会の使徒や長老たちと協議するためにエルサレムに帰ってきました。そして議論が尽くされた末、ペテロから、神様は私たちに与えられたのと同じように異邦人にも聖霊ときよめを与えてくださっているのだと宣言したのです。 ユダヤ人がユダヤ教の割礼を受けたら救われないということはありませんし、異邦人がユダヤ教の割礼を受けなくても救いは与えられるのです。キリストの救いにはユダヤ教の割礼を受けるか受けないかは関係ないことなのです。そういう意味でユダヤ人も異邦人も何の違いもなく、皆同じだということです。 この出来事は、ユダヤの律法主義という物はもはや無用なものであり、むしろ信仰には妨げにさえなっているということを明らかにしたのです。私たちは律法主義者ではありませんが、律法主義的な考え方に陥る危険は多分にあります。なになにしたら救われないとか、なになにしたら救われるという考え方になるということです。救いはキリストを信じるだけで与えられる恵みなのです。 祝福を祈ります。