今日の聖句10月12日(土)\(^o^)/ 大水のとどろきにまさり力強い海の波にもまさって主は力に満ちておられます。いと高き所で。 詩篇93:4 イエスは彼らに対して、「あなたがたの信仰はどこにあるのですか」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「お命じになると、風や水までが従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろうか。」 ルカ8:25 **************** 今週のテーマ:祈りの生活 きょうの聖書:詩篇42:1-11 詩篇42篇1節2節3節 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは神を生ける神を求めて渇いています。いつになれば私は行って神の御前に出られるのでしょうか。昼も夜も私の涙が私の食べ物でした。「おまえの神はどこにいるのか」と人が絶えず私に言う間。 「ダビデの祈り」 詩篇42篇はダビデが息子アブシャロムの謀反により、ヨルダン川の東まで避難した時の心境を同行していた聖歌隊のコラの子孫に作らせたものとされています。コラという人は出エジプトの旅の中でモーセに反逆して神様の怒りを受けて殺されましたが、ダビデはその子孫を神殿聖歌隊長に任命して重用しました。 鹿のいのちは水によって保たれるので水をあえぎ求めます。しかし、この谷川には水はありません。川は干上がってしまっているのです。それでも鹿は水のない川で水を探し求めています。ダビデのいのちは神様との交わりの中で保たれるので、反乱軍に追われながらも必死で神様との良好な愛の交わりを求めて祈り続けているのです。 避難の途中にあるダビデは神殿での楽しい礼拝を懐かしく思い出して再び礼拝できるようにと祈り、神様の愛と恵に包まれた幸いな生活に戻るまで祈りを止めません。「おまえの神はどこにいるのか」という侮辱や罵詈雑言を浴びせられる中でダビデの気持ちはただ神様にだけ向いています。 私たちも裏切りにあい、罠にはめられ、再起不能かと思われるような境遇に落ちこむことがあるかもしれません。そうでなくても、普通の日常生活の中で心が干からび荒れすさんだ状態になるかもしれません。しかし、私たちもダビデのように祈ることができます。祈りの中で、神様がすべてのことを益に変えてくださるという信仰がよみがえるならば私たちの心と信仰はみずみずしく復活するのです。 祝福を祈ります。