今日の聖句10月8日(火)\(^o^)/ 私が主を求めると主は答えすべての恐怖から私を救い出してくださった。 詩篇34:4 ドラクマ銀貨を十枚持っている女の人が、その一枚をなくしたら、明かりをつけ、家を掃いて、見つけるまで注意深く捜さないでしょうか。 ルカ 15:8 **************** 今週のテーマ:祈りの生活 きょうの聖書:1サムエル1:9-18 サムエル記第一1章15節16節 ハンナは答えた。「いいえ、祭司様。私は心に悩みのある女です。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に心を注ぎ出していたのです。このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私は募る憂いと苛立ちのために、今まで祈っていたのです。」 「ハンナの祈り」 ハンナの夫はエルカナという人で、もう一人別にペニンナという妻がいました。ペニンナには子どもがいましたがハンナには子どもはいませんでした。夫のエルカナは誰よりハンナを愛していましたが、ペニンナは嫉妬心からハンナに敵対し、ひどくいらだたせ、怒りをかき立てていたのです。 ハンナの心は痛んでいました。彼女は激しく泣いて主に祈ったのです。そして誓願を立てて言いました。「万軍の主よ。もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、主にお渡しします。そしてその子の頭にかみそりを当てません。」 この祈りは、ハンナの気持ちを余さずすべてはきだしたものでした。唇だけを動かして、ほとんど声に出さずに祈っていたハンナを見た祭司エリは、ハンナが酔っているものと思って、酔いを醒まして家に帰るように言いましたが、ハンナは「私は主の前に心を注ぎ出していたのです」と答えました。 「注ぎだす」というと急須でお茶を入れるようなことを想像するかもしれませんが、全部吐き出すという意味です。ちょうどバケツの雑巾を洗った水を庭にドバっとぶちまけるようなものです。祈り終わったときのハンナの顔には祈り始める前の暗さはすっかり消えて、まったく明るくなっていたのです。聖歌707番に「心に悶えあらばイエスに話せ」という歌がありますね。 祝福を祈ります。