今日の聖句9月9日(月)\(^o^)/ わたしの民よ、わたしがあなたに何をしたというのか。どのようにしてあなたを煩わせたというのか。わたしに答えよ。 ミカ 6:3 父は彼に言った。『子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。』 ルカ15:31-32 **************** 今週のテーマ:自然を従わせる主 きょうの聖書:マルコ6:34-44 マルコの福音書6章41節〜44節 イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。また、二匹の魚も皆に分けられた。彼らはみな、食べて満腹した。そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。パンを食べたのは、男が五千人であった。 「五つのパンと二匹の魚」 五千人給食、それは超自然の奇跡です。これは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四人ががそれぞれの福音書で扱いました。イエス様が活躍する前から、ユダヤ社会でメシヤの登場が待たれていたわけです。ローマからの独立運動を指導するメシヤ、人々を罪から救うメシヤ、待つ人の心は様々でしたが、共通点はモーセの再来を待つということでした。 出エジプトのとき、40年の荒野のたびを支えたのは天からのマナ、パンの供給でした。イエス様が洗礼を受けたあと、荒野で悪魔の試みを受けましたが、その試みの第一が「あなたが神の子なら、この石がパンになるように命じなさい」というものでした。 そしてこの場面でのパンの供給です。今、ナザレのイエスの手からこぼれるように豊かにパンが配られているではありませんか。マナは再び降りはじめました。第二のモーセが現れました。この人こそ待ちわびた、来るべきメシヤ、キリストです。動かぬメシヤの証明です。イエス様は「わたしがいのちのパンです」(ヨハネ6:35)と言われました。 大牧者イエス・キリストの与えるマナは「天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いて」与えてくださる神様の恵みの実であって、胃袋に入るだけのものではありません。魂の糧、いのちのみことばを以って養ってくださるお方がここに居るのです。今の時代のクリスチャンである私たちもこのお方に目を向けこのお方に養われることを喜ぶのです。 祝福を祈ります。