今日の聖句9月7日(土)\(^o^)/ 見よ。彼の心はうぬぼれていて直ぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。 ハバクク2:4 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。 マタイ11:29 **************** 今週のテーマ:時のしるし きょうの聖書:1コリント7:29-35 コリント人への手紙第一7章31節〜35節 独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります。しかし、結婚した男は、どうすれば妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、心が分かれるのです。独身の女や未婚の女は、身も心も聖なるものになろうとして、主のことに心を配りますが、結婚した女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世のことに心を配ります。私がこう言うのは、あなたがた自身の益のためです。あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろ、あなたがたが品位ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるようになるためです。 「信仰生活と品位」 パウロは自分の生き方を土台にして、独身男性、独身女性が、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣うと理解しています。そして既婚者は、伴侶をどのように喜ばせようかと心を遣っていると言い、心がふたつに分かれてしまうと語っています。しかし、キリストに喜ばれる生活は家族にも喜ばれるはずです。 ただ、これらの発言は、結婚などするなということではなく、パウロの理解している独特な社会状況、終末思想の枠の中での言葉なので、単純に、結婚はいらないと考えるのは間違いです。世の中で悩み、対人関係で悩むからこそ、わかる祝福もたくさんあります。結婚している人も、していない人も、今の状況を前向きに理解して、それぞれに主を喜びつつ生きることが重要なのです。 独身者はキリストに気を配り、所帯持ちは家族に喜ばれるように考えると言いますが、それはいずれにしても私たちは誰かに喜んでもらいたいという気持ちがあることの裏返しだと思います。キリストを愛し、同時に家族を大事にして信仰生活を送るというところにクリスチャンの品位が現れるのです。 家族からもイエス様からも「あなたはキリストが大事なのですか、それとも家族が大事なのですか?」と問われるようではいけません。イエス様の戒めがマタイ伝22章の37節と38節で「神を愛し、人を愛せ」と書かれています。キリストに心を集中している人がこのみことばに従えるのです。そこにクリスチャンの品位が現れるのです。 祝福を祈ります。