今日の聖句9月3日(火)\(^o^)/ 私は主を待ち望む。ヤコブの家から御顔を隠しておられる方を。私はこの方に望みを置く。 イザヤ8:17 私たちは見えるものによらず、信仰によって歩んでいます。 2コリント5:7 *************** 今週のテーマ:時のしるし きょうの聖書:エゼキエル33:1-9 エゼキエル書33章8節9節 わたしが悪しき者に『悪しき者よ、あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もし、あなたがその悪しき者に、その道から離れるように警告しないなら、その悪しき者は自分の咎のゆえに死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。あなたが、悪しき者にその道から立ち返るよう警告しても、彼がその道から立ち返らないなら、彼は自分の咎のゆえに死ななければならない。しかし、あなたは自分のいのちを救うことになる。 「預言者の責任」 ユダヤの人々がバビロンで捕囚にされる前、エゼキエルはエルサレムで働く祭司でした。バビロンへ来てから神様はエゼキエルを捕囚民を指導する預言者として立て、エルサレムへの帰還と後の時代の人々のためにキリストによる救いを預言させました。エゼキエルは33章以下では直接的にイスラエルの回復について語っています。 きょうの聖書の「わたし」は神様であり、「あなた」はエゼキエルです。神様がエゼキエルをユダヤ人のための見張り人として立たせ、見張り人であるエゼキエルの責任を語っている場面です。エゼキエルには神様の裁きについて責任をもって民に語るように命じ、民はエゼキエルの警告を聞いて悔い改めろなければならないと教えています。 メッセージの中心点は悪人であっても神様の言葉を聞いて悔い改めるなら救いが与えられ、義人でも神様に背けば必ず滅ぼされるということです。神様はエゼキエルに厳しく民を指導して悔い改めに導くように命じたのです。ユダヤ人は神様の哀れみを受けてエルサレムへ帰還できるのですが、その前にはっきり悔い改めなければならないのです。 牧師は救道中の人や、罪を犯したクリスチャンに、神様の裁きがあることと悔い改めて神様との関係を正しくし、天の御国に向かう幸いな信仰生活に入るように指導する責任があります。この責任をうやむやにしたままで牧会を続けることは許されないことです。神様は牧師に責任を与え、責任を果たすように命じています。神様が人を救いに導くためです。 祝福を祈ります。