今日の聖句9月2日(月)\(^o^)/ わたしは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。 出エジプト33:19 すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。 ローマ3:23-24 **************** 今週のテーマ:時のしるし きょうの聖書:エレミヤ1:11-12 エレミヤ書1章11節12節 主のことばが私にあった。「エレミヤ、あなたは何を見ているのか。」私は言った。「アーモンドの枝を見ています。」すると主は私に言われた。「あなたの見たとおりだ。わたしは、わたしのことばを実現しようと見張っている。」 「アーモンドの枝」 エレミヤはエルサレムがバビロニヤに滅ぼされる40年前から、滅ぼされた後10年間の50年間にわたってエルサレムで活動した預言者です。最後はエジプトで右翼的ユダヤ人に石打ちにされて死んだと伝えられています。エレミヤは終始、ユダヤ人に悔い改めて神様に立ち返れと語り続けましたが、エレミヤの言葉に従う指導者はいませんでした。 きょうの聖書はエレミヤが神様から預言者として召された時の様子を記録したものです。エレミヤに預言すべき、神様のみことばが与えられ、神様が何が見えるかと問われた時に「アーモンドの枝を見ています」答えました。アーモンドは春に他の樹木に先駆けて白い花をつけます。それは季節を告げる花ともいえます。 また、アーモンドの枝は「鞭」として使われることがあったようです。エレミヤがアーモンドの枝が見えますと答えたということは、エルサレムに対する神様の裁きの季節が到来していることが分かりますという意味になるのです。そして神様はエレミヤが言ったとおりに必ずエルサレムに裁きを下すと宣言したのです。 偶像礼拝をするということは、自分の悪い欲望に従って生きることであり、神様が持っている主権を神様から奪い取って好き放題に自己中心に生きることです。悔い改めて神様に立ち返るとは、神様の主権を神様にお返しして、神様のみことばに準拠した生活に戻るということです。私たちは毎朝、神様からみことばをいただき、それを一日の行動の土台にして生きているのです。 祝福を祈ります。