今日の聖句8月12日(月)\(^o^)/ 彼らは主を賛美し、感謝しながら、互いに、「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌い合った。 エズラ3:11 群衆はみな、イエスのなさったすべての輝かしいみわざを喜んだ。 ルカ13:17 ****************** 今週のテーマ:真の平和 きょうの聖書:エレミヤ8:8-15 エレミヤ書8章8節9節 どうして、あなたがたは、『私たちは知恵ある者だ。私たちには主の律法がある』と言えようか。確かにそうだが、書記たちの偽りの筆が、これを偽りにしてしまっている。知恵ある者たちは恥を見、驚きあわてて、捕らえられる。見よ。主のことばを退けたからには、彼らに何の知恵があろう。 「いのちのある信仰」 エレミヤはエルサレム滅亡の40年前から滅亡後10年のおよそ50年間にわたってエルサレムで活動した預言者です。エレミヤはエルサレムの宗教指導者が堕落して、自分を賢い者とし、聖書を保有していることを自慢していることを鋭く批判しています。御父への信頼こそ無ければならないのです。 書記たちの偽りの筆とは、申命記などの聖書とは別のユダヤ教の律法のことです。エルサレムは偶像礼拝のために滅亡したのですが、ここでの偶像礼拝の本体は、御父に頼らず、聖書や律法を神として扱ったということです。聖書を持っていれば天国へ行けるということはありませんし、規則があれば救われるということは無いことは明白です。 イエス様もユダヤ人の律法主義というものを厳しく批判し、律法主義によっては救いはないことを明言しました。キリストの十字架だけが人を救い、天の御国への道となるのです。私たちにも、洗礼を受けたから天国に入れるとか、教会に行っているから救われるという考えがあったら、それは律法的だということになります。 キリストを信じ、キリストの十字架を私のためとして受け止め、キリストの力に頼って日々を生きることが肝心なのです。聖書は持っているだけではなく、読んで、みことば通りに生きることが無ければ意味がありません。信仰は形式だけになったらいのちを失うのです。私たちはいのちのある信仰を持つ者でありたいと思います。 祝福を祈ります。