今日の聖句7月20日(土)\(^o^)/ 主を知ることが、海をおおう水のように地に満ちるからである。 イザヤ11:9 神は、ご自分の満ち満ちたものをすべて御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をもたらし、御子によって、御子のために万物を和解させること、すなわち、地にあるものも天にあるものも、御子によって和解させることを良しとしてくださったからです。 コロサイ1:19-20 **************** 今週のテーマ:奉仕 きょうの聖書:ピリピ4:10-20 ピリピ人への手紙4章10節11節 私を案じてくれるあなたがたの心が、今ついによみがえってきたことを、私は主にあって大いに喜んでいます。あなたがたは案じてくれていたのですが、それを示す機会がなかったのです。乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。 「贈り物」 パウロはピリピの人たちからの贈り物を受け取り、心から感謝しています。物が欲しいからではないことを強調し、自分は神によってどんな境遇の中ででも生きられるように強められ、守られていることを証ししています。彼らの贈り物は、神が喜んで受けてくださる神に喜ばれる「ささげ物」(18節)として高く評価しています。 人への贈り物は、案外難しいものです。相手がどういう気持ちでそれを受け取るのかわからないからです。欲しがっているからあげるのではなく、感謝されたいから提供するのでもなく、神に促され、神へのささげ物のつもりで提供できないと、後味の悪いものになりかねません。 提供した品物への評価や、提供した自分についての評価で一喜一憂することなく、神様からの促しを認め、神様への捧げものとして感謝とともに提供させてもられば提供者としては満足度が高くなります。しかし、物を提供したからそれで満足というものでもありません。人は物でなど満足することはないからです。 人に何かを提供する時には、自己満足のためではなく、神への礼拝の心でささげ物をするべきなのです。イエス様は施しについては、右の手でしていることを左の手に知らせるなと教えました。パウロは、心からの感謝を表明し、神へのささげ物として理解しています。 祝福を祈ります。