今日の聖句7月15日(月)\(^o^)/ あなたがたの神、主は、あなたがたが心を尽くし、いのちを尽くして、本当にあなたがたの神、主を愛しているかどうかを知ろうとして、あなたがたを試みておられるからである。 申命記13:3 苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。 ローマ5:3-4 ***************** 今週のテーマ:奉仕 きょうの聖書:マルコ10:35-45 マルコの福音書10章43節44節45節 あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。 「仕えるしもべとして」 イエス様がご自分の十字架による殉教について語られたときに、ヤコブとヨハネがイエス様の前に進み出て、「あなたが栄光をお受けになるとき、一人があなたの右に、もう一人が左に座るようにしてください」と申し出たのです。それに対してイエス様は「わたしの右と左に座ることは、わたしが許すことではありません。それは備えられた人たちに与えられるのです」こたえて簡単にいなしてしまいました。 さらに続けて「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい」と謙遜と従順を教えました。「しもべ」という言葉は「奴隷」という意味で、「仕える者」とは、「給仕」もしくは「執事」と訳される言葉です。奴隷も執事もともに決定権を持たずに主人に仕える人のことです。 イエス様は私たちクリスチャンに謙遜を求めておられます。そして、他のクリスチャンの信仰成長に役立つものになることを期待しています。愛と宣教による建て上げ」という聖協団の理念の「建て上げ」にあたる部分です。互いに建て上げ合うということがなければ教会は教会として立ちゆくことはできません。 それはイエス様が言われた「多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです」と同じことです。イエス様は十字架によってクリスチャンの生き方の模範を示してくださいました。私もイエス様の十字架によって人生を立て直していただきました。今も十字架によって建て上げられつつあります。これからも教会の建て上げのためにキリストに仕えていきたいと願っています。 祝福を祈ります。