今日の聖句7月11日(木)\(^o^)/ 主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。 イザヤ2:4 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」 ルカ2:14 **************** 今週のテーマ:神の宮を預かる者 きょうの聖書:1ペテロ5:1-5 ペテロの手紙第一5章2節3節4節 あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って自発的に、また卑しい利得を求めてではなく、心を込めて世話をしなさい。割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。そうすれば、大牧者が現れるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠をいただくことになります。 「牧しなさい」 これは、教会の長老や指導的な役割を担っている年長の人たちへの勧めの言葉です。教会は礼拝者の群れですが、その世話を強制されてではなく、自発的にするように、損得勘定でではなく献身的に奉仕するように、威張らず、模範を生きるようにという勧めです。長老、牧師、指導者たちの動機が探られています。 教会は牧師や長老の所有物ではありません。牧師や長老たちは、ある期間、教会に関わる人達を神様から預けられ、世話を託されているのです。そして、そのお世話は成長のためのお世話です。自分で考え、選択し、自分で御言葉に信頼して判断できるよう、自立的な生き方を確立するための世話なのです。 教え、戒め、矯正し、励まし、慰め、キリストにある「大人」として成長しながら信仰に生きることを励ますことが長老や牧師の役目なのです。威張って権威を振りかざし、信徒をコントロールするのは間違っています。それは明らかに自立の妨げになるからです。信徒が萎縮し、牧師の顔色を見ながら生活するなどは不健全なことです。 牧師や長老が成長し、自立し群れの模範として生きること、そういう姿勢が関わるすべての人の中に循環していくことで教会は整えられていくからです。私(好邦)はどうなのか?模範からは程遠い存在であることを常々実感しています。憐れみにすがるほかありません。それでも、神様に感謝しながら、精一杯、その務めを果たしたいと思っています。 祝福を祈ります。